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マツダ787Bを支える マツダ唯一のエンジニアに密着
~マツダファンフェスタ出走の舞台裏~

   

2024年10月19~20日に開催された「MAZDA FAN FESTA 2024 at FUJI SPEEDWAY」。
なかでもマツダ787Bのデモンストレーション走行(デモラン)は会場全体を熱狂の渦に包み、イベントの見どころになりました。

 

1991年のルマン24時間耐久レース優勝以降、多くの方から愛されてきたマツダ787Bですが、今回は、ルマン優勝時から今もなおメンテナンスに携わり続けているマツダ唯一のエンジニア 野村裕之に密着。裏話や、マツダ787Bの維持・管理に込めた想いをご紹介します!

   

   

野村 裕之

1989年 自動車修理工場勤務を経て株式会社マツダスピード入社。初年度からトップカテゴリーのレースに携わり、1991年のルマン優勝を現地で経験する。

1999年 マツダ株式会社に入社後は、限定車や水素/電気自動車の企画開発に注力。初代ロードスター(NA)のレストア事業立ち上げにも携わるなど、自動車の組立・分解に精通する。愛車はマツダ787Bと同じ1991年式の初代ロードスター。

   

   

マツダ787Bはどんなクルマ?

ロータリーエンジンを搭載し、マツダの開発陣とマツダスピード(当時)が総力を挙げて開発したマツダ787B。
1991年の第59回ルマン24時間耐久レースではカーナンバー55マツダ787Bが1周13.6kmのサルトサーキットを362周(約4,923km)走破し、日本車初の総合優勝を飾りました。

 

優勝から20周年を迎えた2011年、エンジンオーバーホール(分解し、全てのパーツを点検・洗浄・消耗品を交換すること)を行ったことがきっかけとなり、様々なイベントで走行する姿を再び見せられるようになりました。

ロータリーエンジンを搭載し、マツダの開発陣とマツダスピード(当時)が総力を挙げて開発したマツダ787B。
1991年の第59回ルマン24時間耐久レースではカーナンバー55マツダ787Bが1周13.6kmのサルトサーキットを362周(約4,923km)走破し、日本車初の総合優勝を飾りました。

 

優勝から20周年を迎えた2011年、エンジンオーバーホール(分解し、全てのパーツを点検・洗浄・消耗品を交換すること)を行ったことがきっかけとなり、様々なイベントで走行する姿を再び見せられるようになりました。

   

野村は優勝に立ち会い、今もなおマツダ787Bのメンテナンスに携わるマツダ唯一のエンジニア。デモランなどの走行時には必ずメンテナンスを行います。

 

「デモランで車両にかかる負荷は実際のレースほどではないため、走行前はセーフティチェックに重きを置きます。走行後にはマツダミュージアムでの展示に戻ります。ですから短い時間で、目で見て、匂いを嗅いで、手で触って、異変があれば感じ取る力が必要なんです。

 

開発当時に使用していた部品は現在残っていませんが、部品メーカーの協力を得て、なんとかパーツを維持しています。

 

車体は修理をすれば良いですが、エンジンはマツダの中で技術が絶えてしまうと復活できなくなります。マツダ787Bを走らせ続けるためには、ロータリーエンジンのエンジニアとして携わることのできる後進の育成が大切です。」(野村)

野村は優勝に立ち会い、今もなおマツダ787Bのメンテナンスに携わるマツダ唯一のエンジニア。デモランなどの走行時には必ずメンテナンスを行います。

 

「デモランで車両にかかる負荷は実際のレースほどではないため、走行前はセーフティチェックに重きを置きます。走行後にはマツダミュージアムでの展示に戻ります。ですから短い時間で、目で見て、匂いを嗅いで、手で触って、異変があれば感じ取る力が必要なんです。

 

開発当時に使用していた部品は現在残っていませんが、部品メーカーの協力を得て、なんとかパーツを維持しています。

 

車体は修理をすれば良いですが、エンジンはマツダの中で技術が絶えてしまうと復活できなくなります。マツダ787Bを走らせ続けるためには、ロータリーエンジンのエンジニアとして携わることのできる後進の育成が大切です。」(野村)

どうして走らせ続けるの?

   

国内のみならず、海外のファンも多いマツダ787B。走らせ続ける意義を野村に聞くと、意外な回答でした。

 

「正直に言えば、いつまでもマツダ787Bを頼りにするのではなく、ファンが熱狂してくれる次の世代を生み出すべきだとは考えています。ただ『次いつ観られるか分からない』と言って遠方から楽しみに観に来てくださる方もいます。期待を裏切ることはしたくないし、走らせるからには、ちゃんと走らせます。

 

今までこんな経験をしてきた人は、他にいないという自負もあります。どんな仕事に携わっているときでも、マツダ787Bが走ることになったら僕に話が来ます。
ファンの方から『いつもマツダ787Bのそばにいますよね』と言われたことがあります。うれしい気持ちもあるのかもしれません。」(野村)

「ミスター・ルマン」が認める存在

   

各地のマツダファンフェスタでドライバーとしてマツダ787Bを走らせる「ミスター・ルマン」こと寺田陽次郎さんにもお話を伺いました。
「レースチームはドライバーだけが光を浴びることが多いけれど、ドライバー・メカニック・チームとの信頼関係が無いとまず走れない。300キロ以上のスピードで走るわけですから、一人では走れないのです。
野村は一緒にルマンに行って、同じ釜の飯を食って、つらい思いも喜びも分かち合ってきた仲間。だから、彼に絶大な信頼を持っています。数日前までミュージアムで展示されていたクルマでも、彼がメンテナンスしている、というだけで安心できる。それくらい重要な人だということです。」(寺田さん)

   

   

いかがでしたか?
マツダ787B出走の舞台裏には、エンジニアの技術や想い、ドライバーとの信頼関係があることを感じていただけたでしょうか。この記事をきっかけに、モータースポーツやレジェンドカーに興味を持っていただければうれしいです。

 

マツダ787Bをはじめ、マツダはロータリーエンジンとともにモータースポーツに挑戦してきました。
CLUB MAZDAでは、「レース挑戦の歩みとルマン優勝のドキュメント」を2記事に分けてご紹介していますので、ぜひログインしてご覧ください。

 

■参照:【CLUB MAZDA】レーシングロータリーエンジンの飽くなき挑戦 PART1

■参照:【CLUB MAZDA】レーシングロータリーエンジンの飽くなき挑戦 PART2

   

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