これまでのエピソードでご紹介したように、マツダが広島の地に誕生した理由は、ルーツとなる東洋コルク工業株式会社が1920(大正9)年に広島市内に創立されたからです。その数ヶ月後、新コルク工場の建設に伴い同じ広島市内で中島新町から吉島町へ移転した後、1931(昭和6)年には三輪トラックで自動車製造に乗り出すため、広島県安芸郡府中町(当時は府中村)の海岸埋立地に大規模な工場を建設し、本社とともに再度移転しました。以降はずっとこの地に本社を据えています。
つまりマツダは100年以上にわたり、広島市およびその近郊に軸足を置いて事業活動を展開してきたことになります。豊かな自然に温暖な気候、そして交通の便や労働力にも恵まれたここ広島の地ではありますが、その間の歩みは決して順風満帆ではなく、地理的な条件や時代背景から生じたさまざまな障壁を、知恵や工夫、時には人びとの想いによって乗り越えてきた歴史があります。今回はそのあたりの話に触れたいと思います。