どんなに魅力的な伝統であっても、時代の狭間でたやすく失われてしまうことがある。
今や世界で愛される秋田犬のたどった危機と再生のストーリー。

Story by Yasuko Kimura/ Photography by Atsushi Ito

日本犬らしい風貌と性格が世界で愛される秋田犬

みっしりと生えそろった毛並みに、ピンと立った三角形の耳、くるんと力強く巻いた尾、そして思慮深げな表情。そのたたずまいには、凛として神秘的なムードすら漂う。

性格は忠実そのもの。主人が亡くなったあと、いつまでも駅で帰りを待ち続けた忠犬ハチ公も秋田犬だが、そんなエピソードもまた、いかにも義理堅いこの犬らしい。

そんな秋田犬のことを、愛犬家であり秋田犬保存会の副会長も務める川北晃右さんは「最後のブーム犬」と表現する。

ライフスタイルが多様化した現代、コンパニオンアニマルとしての犬にも、集合集宅で飼える小型犬、手入れのしやすい短毛犬などさまざまなニーズがある。

「そんな中で、特定の犬種としてブームといえる人気を誇るのは、もはや秋田犬くらいではないでしょうか」と川北さん。

 

日本国内よりむしろ海外に広く愛犬家を持つそうだが、それも、きりりとした風貌、主人に忠誠を尽くす性格に、サムライに感じるような日本的なイメージが重なるせいだろうか。

狩猟犬から闘犬へ。雑種化が進んだ大正期の危機

今は日本を代表する伝統的犬種として知られる秋田犬だが、実は過去には消滅の危機を迎えた時代もあった。

さまざまな運命に翻弄されたその歴史を、川北さんはこう語る。

「もともと秋田犬は、秋田県の大館地方特有の地犬(じいぬ)の一種で、山に入って猟を行う『マタギ』の伴侶として飼育されるようになったと言われています。その後、番犬として大きく強い犬へと改良されていったようですが、江戸時代になると、その番犬を使って闘犬が行われるようになりました」。

 

秋田は全国的にも闘犬の盛んだった地域。

江戸時代の闘犬は、藩主が武士の闘争心を養うために奨励したともいわれる。

一度定着すれば、娯楽の少ない雪国のこと、人々が夢中になっていく様子は想像に難くない。

  • 新庄市ご提供画像

   

「さらに明治時代になると、闘犬は全国的に興行化され、他の地方から犬を連れてきて闘わせるということも起こり始めました。

大館では、高知から大挙してやってきた土佐犬の一団に秋田犬が全敗するという『事件』もあったといいます。そんなこともあって『とにかく強い犬をつくろう』というムードが生まれ、大きな犬を探してきてはもとの犬に掛け合わせるということが繰り返されました。」

 

「結果として急激に雑種化が進み、ついにはシェパードなどの洋犬を掛け合わせた『新秋田』という、似て非なる犬種が現れるまでになってしまったのです」

   

「新秋田」は、立ち耳や巻いた尾など、秋田犬ならではの力強くも愛らしい特徴を全く持ち合わせていなかったという。

その時代の人々の気持ち次第で、受け継がれてきたものはあまりにも容易に失われてしまうのだ。

「伝統的な秋田犬」を再びつくった、大館の人々の努力

消滅の危機に瀕していた秋田犬。しかし20世紀初頭、近代化の中で失われつつあった日本古来の自然や動物を守ろうと、国を挙げての動きが起こる。

1919年(大正8年)には、現在の「文化財保護法」の前身にあたる「史蹟名勝天然紀念物保存法」が成立。これを受けて1927年(昭和2年)には愛好家たちが本来の秋田犬らしさを取り戻すための活動を始めた。

 

残された数少ない純血種を集めて交配を重ねるのにはどれくらいの苦労があっただろうか。

結果として、1931年(昭和6年)、秋田犬は日本の伝統的な犬種として初めて「天然記念物」の指定を受ける。

  • 大館市ご提供画像

   

単に「強くする」という一時的な流行に流されることなく、秋田犬の本質を見つめ、守ることに取り組んできた人々の努力が勝ち取った結果といえるだろう。

一度失われた「秋田犬らしさ」は、簡単には取り戻せない。しかし、伝統を守る意志があれば希望は生まれるのだ。


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