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レーシングロータリーエンジンの飽くなき挑戦 PART2

〜愛すべき大ボラ上司とロータリーエンジン設計者の一番長い日〜


2024年1月13日、マツダミュージアムではマツダ787B「2023日本自動車殿堂 歴史遺産車」選定記念イベントとして、「マツダレーシングロータリーエンジンの飽くなき挑戦」をテーマにしたトークショーを午前、午後の二部構成で行いました。今回はそのPART2として清水律治さんが語るルマン24時間レース(以降ルマン)優勝の感動ドキュメントをご紹介します。

登壇者プロフィール

清水 律治(しみず りつはる)

1986年マツダ株式会社入社。ロータリーエンジン(以下RE)設計部門配属。1988年から91年までルマン用RE設計を担当。以降RX-7、RX-8、MAZDA MX-30 ROTARY-EVなどRE設計開発一筋37年。現在はRE開発の後進育成を担当。

1.ミッションはルマン初制覇。「勝てるかじゃなくて、勝つ」

1988年のルマンが終わった直後に最後のルマンを1年間頑張ってこいということで89年用のエンジン開発を担当させていただきました。その後ルールの変更が1年また1年と延期になり、結局3年間、レース用エンジンに関係することになりました。ルマンに関しては、当時テレビでの中継放送があって、ポルシェなどの海外勢が相変わらず強い中、日本車メーカーが、ルマン初制覇を目指してみんな頑張っていたという時代です。バブル期ということもあって国内各社、予算を大量に投入してルマン制覇を目指し、90年には某社があと一歩で優勝というところまでいっていました。国産車のどこが勝ってもおかしくないというような感じで盛り上がっていたのです。マツダは70年から参戦したものの、本格的に力を入れ始めたのは84年ごろからでした。私の担当するエンジン設計サイドの話でいくと、エンジンをどんどんバージョンアップさせて、出力を上げて、とにかく勝てるようにということで頑張っていました。

そんな中でREも進化をしますが、その推進の中心となったのが私の講演の前に『マツダレーシングREの飽くなき挑戦 Part1』でお話をされた実験チームのリーダーの松浦さんと私たち設計チームのリーダーを務められた栗尾さんという方でした。設計と実験がペアになって、エンジンの開発を進めるのですが、松浦さんのところがいろんなアイディアを出して、設計の方もいろいろ検討して、設計が作った部品を実験に渡して性能を評価してもらうというようなことをやっていました。当時のエンジンの進化、毎年のバージョンアップは栗尾さんの力によるものが非常に大きかったと思います。私たち部下は「REでルマン勝てるかな?」と半信半疑でしたが、「勝てるか、ではなく勝つ!」「勝つまでやる、とにかくやるしかないんだ!」と言ってとにかく前に進む人でした。そんな感じで、さらに勝ったときの心配もしていました。「おい清水、ルマン優勝できたらどうする?」とか「もし優勝したら、平和大通りをパレードよのう」みたいなことを仕事中に言うんです。「ルマンどうやったら勝てるんだろう」と真剣に悩む人もいれば、こんな感じで能天気にどんどん突っ走る人もいて、両輪で当時のレース設計活動は進められました。

2.大ボラ上司吠える。そして正真正銘最後のルマンへ

その頃の仕事は電話とFAXでやるのが普通でしたが、栗尾さんというと、FAXなんて面倒なので電話1本で仕事をして、「事務所で最も電話代を使う男」ということで有名でした。真剣であるがゆえにいろんな手厳しい発言もあって、当時の決まり文句が「納期を遅らせるなら、ルマンの開催日を遅らせてからにしてくれ」でした。そう言いながら突き進んでいきます。今の時代では考えられない発言ですが、当時としては真剣にやっているが故のコメントということで許容されていました。近年この時の話を栗尾さんにすると、「そりゃお前、わしもつらかったんよ。あの時は、そう言うしかなかったんじゃ」とか言われていましたが、当時はそれほどみんな一生懸命だったという話です。

そんな感じでその頃はルマン優勝をがむしゃらに目指しました。ルール変更で89年、90年それぞれ最後のチャンスということで、一生懸命頑張って挑みました。特に89年は、ほぼノントラブルで走り切ることができて、思い通りのレースだったのに7位に終わり、みんなすごくショックを受けました。エンジンの信頼性をちゃんと高めたので、きっと上位に食い込めると思っていたのに結果が出せず、「これじゃいかん」ということになりました。会社からの大号令もありましたが、「やっぱりもっとスピードを上げないと」というのが現場サイドとしての思いでした。そこで90年はさらに総力を結集して取り組んだものの、結果は惨敗。そしてまたルール変更が延期されて、91年がロータリーの本当の最後の年ということで、3度目の最後のルマンを頑張ることになりました。

実は、90年のルマンが終わった直後に栗尾さんは量産部門に異動して、強力に牽引する人がいなくなる事態となりました。いわゆる現場の現実主義者だけが、残ったことになります。栗尾さんが作った90年のエンジンをベースに理詰めでいろんな心配をしながら、品質も高めながらという、現実路線で考える人たちがトップダウンではなく、協力しあって仕事をすすめていくというのが当時のチームです。

3.ネットもない、SNSもない日本でのルマン観戦ドタバタ記

さて、そんな新体制で進めた本当に最後のルマンもいよいよレース当日を迎えることになりました。私は現地には行かずテレビでの観戦でした。放映は、スタートの土曜日は日本時間の深夜23時から翌朝5時まで、翌日の日曜日は16時から17時25分まで生中継だったのですが、ちょうどレースがゴールを迎える23時ごろは録画放送で、ゴールシーンを映すのは1時間遅れの翌日0時ごろというちょっとタイムラグがありました。今の時代と違って、当時はメールやネットがなく、情報源はテレビしかなかったので、日本にいた私は、テレビをドキドキしながら待つというような感じだったのです。

レース開催中、放送のない20時過ぎに、実験チームのメンバーから私のところに電話が入ってきました。「さっき『マツダがトップに立った』と番組のニュース速報で流れた」という話で、「もうあと3時間だから何とか行くんじゃないか」と教えてくたんです。それで「一部の関係者は居ても立ってもいられなくなって、本社に集まってるみたいだよ」ということだったんです。あと3時間と言われても、F1レースの1戦分よりも長く、大逆転劇が起きても不思議ではないので、その3時間をドキドキしながら待ちました。

しかしその後は続報が入らず、22時ごろ耐えられなくなった私はとうとう「ゴールしたら速報を教えて」と会社に電話してしまいました。その時返ってきたのは、「お前の相手をしている暇はないんだ。そんな状況じゃないんだ」という回答でした。トップに立ったということは当然、会長、社長に報告が入っていて、明日の記者会見の準備や新聞広告の手配などいろいろ考えなければならず、商品本部の人たちは集まって急遽、その対応を始めたというところで私なんかに構っている場合ではないということだったんですね。そうは言っても優しさがあって、「一応暇があったら電話してやるから、電話番号教えとけ」と言われて番号を伝えたんですが、切る時は「こちらからかける以外、そっちからかけてくるなよ」というふうに念を押されました。 

4.電話越しの歓喜と大ボラ上司の哀愁

そうこうしているうちに日本時間の23時10分ぐらいに電話がかかってきて、ドキドキしながら出るとそれは親戚のおじさんでした。「ルマン勝ちそうじゃないか、どうなんだ」みたいなこと言われて、「いや、今電話待ってますから、ちょっと切りますよ」って感じで切って、ちょうどその5分後に電話がかかってきました。でも、それは会社からではなくて、ルマン出張中の上司からの「勝ったよ」という報告でした。私は嬉しくて嬉しくて受話器を握り締めてただ泣いていました。

その報告を受けて私はすぐ栗尾さんに電話しました。栗尾さんに「勝ちましたよ」と言おうとしたら、向こうから先に「勝ったそうだな、おめでとう」と言われて、驚きました。「ええ?なんで知ってるんですか」と聞いたら、現地に行っているマツダの偉いさんから、栗尾さんのところへ直接電話かかってきて、「勝ったよ。栗尾も頑張っていたのにこっちに来られなくて残念だったな」と言われたそうなんです。栗尾さん、私の電話に対して、「よかったな、おめでとう」の祝福の後、「お前らのやり方が正しかったゆうことよの」と言われました。その言葉にはちょっと悔しさと寂しさみたいなものが混じっていて、「本当は自分の手で達成させたかった」という思いが伝わって来ました。

5.ルマンを勝利に導いた気迫の差。

こうして最後の最後のチャンスで栄冠をつかんだチームマツダなんですが、レースを総括したレポートでは次のようにまとめられています。「勝つための合理的目標と手段がちゃんと設定できて、それを割り振られた各パートの方がそれぞれをきちんとやりきって、チーム一丸で常に全力を出し切ったと胸を張って言える状況だった」と。実際、海外の強豪はすでに翌年仕様の最新マシンを製作していて、すでにそのクルマで世界のレースを走り回っていました。私たちのREにはもう来年はなかったということから、気迫の差が生まれるのは当然だと思いました。そこで栗尾さんの気持ちを受け継いだ全員がちゃんと仕事をして、気迫を持ってやりきったということで、勝ててよかったというのが本当に率直な感想です。

最後に、「大ボラ会」というのをちょっと紹介して、私の講演の締めにさせていただきます。この「大ボラ会」という名前は先ほども言ったように、当時から大ボラを吹いてグイグイ引っ張ってくれた栗尾さんに由来しています。栗尾さんを中心に「大ボラ会」を開催して、毎年ルマン決勝スタートの日に飲んでいるんですね。「大ボラ会」は栗尾さんが当時と変わらず毎年、適当なことを「あの時ああだったね」とちょっと記憶がすり替わっている感じで話して盛り上がる会です。すべていかに自分がすごかったかという話に見事に変わってます。本当にすごい人なんです。

今回は、『マツダレーシングロータリーエンジンの飽くなき挑戦』と題して、2回に分けてお届けした講演のパート2で、37年間RE設計開発一筋に歩んだ清水律治さんのお話でした。ルマン優勝当日の熱気と興奮を感じていただけましたでしょうか?

 

マツダはREの新しい物語の序章として、2024年2月1日付で、パワートレイン開発本部パワートレイン技術開発部に「RE開発グループ」を復活させました。新生RE開発グループでは、REを発電機用として継続的に進化させ、主要市場での規制対応やカーボンニュートラル燃料対応などの研究開発に取り組みます。電動化時代そしてカーボンニュートラル社会においてもお客さまにワクワクしていただける魅力的なクルマをお届けできるよう『飽くなき挑戦』を続けます。今後のRE開発の進展に皆様どうぞご期待ください。