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『飽くなき挑戦』で走る歓びを未来へ。
RX-7開発者が語るロータリーエンジンへの情熱と勇気


2024年7月13日、マツダミュージアムでは土曜日開館イベントとして、「We Love Rotary~ロータリーエンジンとRX-7の轍〜」をテーマにしたトークショーを行いました。今回は、RX-7開発を担当した山本修弘氏による講演内容をご紹介します。

登壇者プロフィール

山本 修弘(やまもと のぶひろ)

1973年マツダ入社。ロータリーエンジン研究部に配属後、ロータリーエンジンの設計に22年間携わり、RX-7シリーズ、モータースポーツのエンジン設計を担当。その後ロードスターシリーズを担当して、2023年2月退職。2024年9月にNDロードスターに関する書籍を刊行。

1. マツダ飛躍の推進力、ロータリーエンジン。先導したのはRX-7

皆さんにとって、ロータリーエンジン(以降RE)とはどんな存在ですか?今日は日本、いえ世界で唯一REを量産化し、現在も生産するマツダにとってREは一体どんな存在だったのか、それは会社の成り立ちにどんな影響を与えたのかを紐解いていきたいと思います。

マツダの104年の歴史の中でREの開発は1960年に始まります。会社的にいえば、ちょうど「総合自動車メーカーへの躍進」が始まった頃と重なり、記念すべき最初のRE量産車が67年のコスモスポーツとなります。その後、ファミリア、ルーチェ、カペラ、サバンナ、コスモと来て、78年には初代RX-7(以降セブン)が誕生します。

セブンの誕生は、マツダのRE史を語る上で欠かすことのできないトピックでした。それまでレシプロエンジンの代用品として普通自動車に搭載していたREが、スポーツカーの正規エンジンとして復活する。そんな新しい道をセブンは切り開いていきました。

2. 「人の心を昂らせるスポーツカーを」。RX-7に根付く開発哲学

初代が78年に誕生し、85年には2代目が生まれ、91年には3代目として進化していったセブンには、当時「志・凛・艶・昂(し・りん・えん・こう)」という開発のキーワードがありました。ロードスターが「人馬一体」とか言われる前の話です。そのコンセプトをステートメント化した一節には次のように記されています。「志ありて凛々しく、艶ありて昂むる。スポーツカーはそのようにして母の胎内を出、遊びをせんとや生まれける」。この「遊びをせんとや生まれける」というのは、今から約1400年前、平清盛の「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」の中に出てくる言葉なんですね。「遊び」というのは「だらだら遊ぶ」のではなくて、その時代は「人生をいかに楽しく生きるのか」というような意味でした。つまり、そんな思いで作られたクルマが、セブンなんです。

当時のセブンの広報資料を見るとその思想はより鮮明になります。そこには「何よりも人の心を昂らせる存在でありたい。」とあって、カタログの1ページ目には「スポーツカーに昂る。」というメッセージが掲げられています。そして、続くページにはクルマのフォルムではなく、飛行機のコックピットのような運転席の写真が掲載されています。つまり、移動手段としての必要性や快適性ではなく、日々「操縦したい」という心を昂らせるクルマがセブンだったのではないかと思います。

3. 両輪だったモータースポーツとRX-7の進化

こんな進化を毎年続けたセブンですが、その進化には70年代からマツダが取り組んだレース活動が大きく関係しています。私自身がレースに技術者として初めて参加したのが、81年のルマンです。その年は残念ながらリタイアという残念な結果に終わったのですが、会場に日の丸が掲げられ君が代が流れるのを聞いて、「日本代表として来ているんだ」「世界で戦っているんだ」という思いを強くしました。

さて、そんなセブンの大きな特徴は絶えず進化を続けたクルマだったことです。社内ではそんなに言わないのですが、お客様の間ではセブンを1型、2型、3型、4型、5型、6型と細かく分類して、「自分のセブンは5型」といった形で呼ばれています。それだけ性能の進化が連続していたということですね。例えば、2型は2シーターのバサーストになり、3型、4型、5型ではパワーが250psから280psまで高まって、タコメーターはゼロ置針(タコメーターの0が真下にくるように変更)となっています。

その頃のREが活躍する場というのは、世界の耐久レースでした。ルマンでの栄光にスポットが当てられがちですが、79年の「デイトナ24時間レース」での初優勝をから始まり、81年ベルギーの「スパ・フランコルシャン24時間レース」でも総合優勝しています。そしてオーストラリアでの「バサースト12時間耐久レース」では92年から95年まで4年連続で優勝していて、そのことを記念して「バサースト」という名前のクルマが発売されています。
このようにクルマの進化とレースは密接に結びついていますが、その一番顕著な事例が91年787Bによるルマンの優勝でした。ルマンでの快挙がその年10月のセブンの市場導入を大きく後押しします。

4. モータースポーツだけじゃない。企業活動も支えた「飽くなき挑戦」

セブンの市場導入を後押ししたルマンの優勝ですが、その栄誉を記念して広島県三次市の試験場には、RE最初の開発リーダー、山本健一さんが語った「飽くなき挑戦」と書かれた記念碑が建っています。
レース活動の文脈で語られることの多いこの「飽くなき挑戦」ですが、実はREの開発においてもこの言葉は精神的支柱となっています。

少し話は遡りますが、1960年代にドイツの高級車メーカーがRE開発について世界中の自動車メーカーに「ライセンス契約を結びませんか?」という呼びかけをしていて、マツダは最初の9社の仲間に入りました。
その後、ライセンシーの数は増えて、70年頃には日本の数社も含む32社が参加することになりました。しかしこの中で乗用車を量産することができたのはマツダだけでした。

REの量産化に成功したマツダですが、残ったのは商品だけではありません。そこには、副産物がありました。1989年、山本健一さんはKIA自動車での講演で、RE開発はREそのものの成果だけではなく、次に挙げる4つの副産物として重要な企業風土と人材の育成に貢献したと述べられました。

一つ目は「相互に協力するチームワークの重要性の認識」。大切なのは最後に「認識」が付いていること。つまり自分ごとになっているということです。
二つ目の「難問に向かって勇気と情熱をもって挑戦することの素晴らしさの自覚」、一つ目と同じで最後の「自覚」がポイントです。
三つ目は「失敗にこりず、執念を持って、努力を集中すれば、道が開けるという自信。」
最後の四つ目は「一旦、市場に新製品を出せば、開発者はもちろん、製造、サービスの技術者も顧客に対して、社会的責任があるということの信念。」
こんな4つの副産物が受け継がれていることが「飽くなき挑戦」のベースにはあるのではないかと私は思います。

5. ロータリーエンジンと走る歓びへの挑戦は終わらない

さて、これまでお話ししたようにマツダの企業としての企業風土にも大きな影響を与えて来たREが、嬉しいことに復活しました。2023年のオートモビルカウンシルでのMX-30 Rotary-EV復活、2023年のジャパンモビリティーショーおよび2024年のオートモビルカウンシルでのMAZDA ICONIC SPの発表において、青山専務が「マツダはREを諦めたくない。作り続けたい。マツダの独自価値としてREとともにこれからも未来の走る歓びへの挑戦を続ける」とメッセージを出しました。毛籠社長は、「MAZDA ICONIC SPに2ローターのREを搭載します」と宣言しました。REはまだ終わってないんです。REには他にはない独自性があって人々を奮い立たせる勇気と情熱があるんです。それをぜひ未来につないでほしいと思います。

今回はマツダOBの山本修弘氏がご説明したREとRX-7開発のエピソードを中心にご紹介しました。REやRX-7にかける熱い情熱を感じていただけましたでしょうか?

今後のREの動向についてもぜひご注目いただければと思います。