その昔、戦に向かう侍が持参したという歴史を持つ手縫い針は、
広島と深い繋がりを持っている。マツダの本拠地、広島で手縫い針の歴史を追った。

Words Alice Gordenker

戦国時代、出陣する侍は手縫い針を持参したと言われている。侍の武器である刀ほどの威厳や恐ろしさはないが、手縫い針は応急処置には欠かせない道具として重宝され、着物のほつれや傷口の縫合に使われた。江戸時代に入ると、手縫い針は侍の手によって作られるようになる。

安土桃山時代、マツダが本社を構える広島(安芸広島藩)は、浅野家によって治められていた。領地は鉄が豊富であったことに加え、戦がなくなった江戸時代に入ってからは武士の内職として、浅野家は針の製造を藩の正式な産業として採用した。

(写真提供:田村眞平)

職人の手で丁寧に作られた広島針。その高い品質が評判を呼び、
国内での取引が開始。やがては海外に輸出されるようになった。

手作業で針を作るためには、28工程から成る複雑な製造工程があり、職人には緻密な作業が求められた。安芸広島藩で製造された手縫い針「広島針」は高い品質が評価され、国内で取引されるようになる。明治時代に入り、急速な近代化と共に機械化が進んだが、最高品質を追求する広島の針職人の姿勢は変わらなかった。職人たちの努力はすぐに実を結び、広島針は海外に輸出されるようになった。

手作業で針を作るためには、28工程から成る複雑な製造工程があり、職人には緻密な作業が求められた。安芸広島藩で製造された手縫い針「広島針」は高い品質が評価され、国内で取引されるようになる。明治時代に入り、急速な近代化と共に機械化が進んだが、最高品質を追求する広島の針職人の姿勢は変わらなかった。職人たちの努力はすぐに実を結び、広島針は海外に輸出されるようになった。

広島針の製造会社は常に製造工程の革新と改善を続けている。

広島針が高い評価を得た理由として、「たたら製鉄」と呼ばれる当時の先端技術を生み出した日本の製鉄業が挙げられる。広島やその近隣で発展した「たたら製鉄」により、日本の生産高は大きく向上したと言われている。

やがて、たたら製鉄に端を発した職人哲学が「ものづくり」の精神へと昇華され、多くの産業へと広がっていった。「ものづくり」とは、卓越した技術、ノウハウ、精神をまとめて、手仕事や製造に対する日本のこだわりを表す言葉だ。日本古来の製鉄法で製造された高品質の鉄からやすり、のこぎりや針が作られ、ものづくりの精神は広島やその近隣における造船業や自動車産業へと受け継がれていった。

やがて、たたら製鉄に端を発した職人哲学が「ものづくり」の精神へと昇華され、多くの産業へと広がっていった。「ものづくり」とは、卓越した技術、ノウハウ、精神をまとめて、手仕事や製造に対する日本のこだわりを表す言葉だ。日本古来の製鉄法で製造された高品質の鉄からやすり、のこぎりや針が作られ、ものづくりの精神は広島やその近隣における造船業や自動車産業へと受け継がれていった。

広島の自動車産業は、高度な製鉄技術から直接恩恵を受けた。

第二次世界大戦で、広島は大きな被害を被った。しかし戦争で失った家財道具や衣服の代替品を求める人々の需要により、広島の針産業は急速に回復することができた。また、広島には優れた職人が多かったことが、建物再建の動きを加速させた。

 

広島針の製造、販売を行うチューリップ株式会社の専務取締役、原田一康は「この地域の伝統である製鋼に加え、呉市に造船所があったことから、針製造に必要となる特殊機械の製造に経験豊富な機械工を採用することができた」と語る。

チューリップ株式会社は1948年、原田の祖父によって創業された。同社は現在、全国の小中学校に家庭科用の針を供給しているほか、全世界の裁縫従事者や趣味で裁縫や手芸を楽しむ人々に向けて針を製造、販売している。

「手縫い針はその日常性ゆえに、単純な道具だと誤解されがちです」

原田 一康

「手縫い針はその日常性ゆえに、単純な道具だと誤解されがちです」と原田は続ける。

「針の製造工程は複雑かつ精巧です。切断、圧縮形成(スタンピング)、研磨、裁断、電気メッキなど様々な技術工程を経て製造されるのです。広島の針製造会社は皆、工程の継続的な改善を推し進め、多様なニーズに応えるために、革新的な針の製造を目指しています」。

 

刀の製造工程と同様に、針の場合も鋼に焼き入れをし、焼き戻しを行う。これによって、強度と柔軟性に加え、屈曲や破損への耐性を兼ね備えた針が出来上がる。針の穴は糸を通しやすいように中と外、両側から磨きだされる。針先には高密度砥粒(とりゅう)研磨処理がほどこされ、鋭利な先端が生まれる。

縫い針には強度と柔軟性に加え、屈曲や破損への耐久性が求められる。

 

針が折れたり、先端の尖りが失われたりしても、日本では壊れた針はそのまま廃棄されない。寿命をまっとうした針やピンを、神社や寺で供養するという伝統があるからだ。これまで固い生地などを刺してきた針に対し、柔らかいところで休んでいただく、いわば「ソフトランディング」として、針は豆腐など柔らかいものに刺され、針供養が行われる。この習慣は約400年前から始まり、今でも各地の寺や神社では2月8日、または12月8日に行われている。

 

キルト作家で針仕事の指導者でもある八幡垣睦子は「質の高い手縫い針は手に心地よく、時間を忘れて縫い続けることができるんです。作品の仕上がりもおのずと良くなりますね。良い道具は、良い仕事をさせてくれるのだと思います」と語った。

TOP