広島東洋カープの熱心なファンは、広島の精神を体現していると言われている。
その真偽を確かめに、広島で取材を行った。

Words Shogo Hagiwara / Images Keisuke Ono

1920年以来、マツダと広島市の関係は「地元愛」、「革新」、そして「真のおもてなしの精神」に象徴される。広島市内のあらゆる場所で地元コミュニティのつながりの深さを、訪れる人の誰もが肌に感じることだろう。

 

100万人都市の広島において、広島の精神をより色濃く、熱く体現している人々がいる。それは赤いユニフォームを着て球場を訪れる、広島東洋カープ(以下、カープ)の熱心なファン。MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島(以下、マツダスタジアム)ではシーズン中、多い時には1週間で6試合が行われるが、スタジアムで見られるファンの姿とチームが広島の精神そのものを表している。

試合前、カープファンの少年と記念撮影をする大瀬良 大地選手と平岡 敬人選手。(2018年11月23日撮影、©HIROSHIMA TOYO CARP.)

試合前、カープファンの少年と記念撮影をする大瀬良 大地選手と平岡 敬人選手。(2018年11月23日撮影、©HIROSHIMA TOYO CARP.)

「熱狂的なファンの応援に包まれたスタジアムの雰囲気に圧倒されました」

広島東洋カープ 大瀬良 大地選手

現在約70名の選手と契約している球団にとって、ファンと選手の良好な関係は、とても重要なものだ。カープの大瀬良 大地選手も、ファンとの関係の重要性をしっかりと認識している。
「2013年に大学野球を引退してから、マツダスタジアムを訪れる機会を得て、カープの試合をスタンドで観戦しました。球場に入るとすごい熱気で、ファンの大声援にただただ圧倒されました。カープファンの応援は熱狂的だというイメージは持っていましたが、実際は私の予想を遥かに上回っていました。いざファンの輪の中に入り、身をもって体験したことで、これほど熱く応援してくれるファンたちがいる広島のような球団でプロとしてプレーしたいと思うようになりました。」と大瀬良選手は語ってくれた。

 

大瀬良選手の願いはすぐに叶い、現在はカープの不動のエースとして活躍している。しかし、プロのスポーツ選手として絶好調を維持するのは並大抵ではない。

「苦しいことだらけで、諦めたくなることもあります」と大瀬良選手は冗談交じりに話してくれた。「でも、つらい時は自分のためではなく、ファンやチームメイト、スタッフなど、裏方で懸命に働いている人たちのためにプレーしていると思うようにしています。そうすることで、自分もさらに頑張ろう、今日よりも明日もっといい選手になろうというモチベーションを持つことができるんです。」

 

球団とファンとの関係は、ホームスタジアムを超えて深まっている。
「グラウンドから離れたところでもファンと交流するために、年間を通じて野球教室やトークイベントを開催しています。昨年の印象に残っているのは、ひとり親家庭の子どもたちを招待した野球教室です。今シーズンは、野球を通じて親子の絆を深めてもらいたいという思いから、その子どもたちを実際の試合に招待しました。」

 

歴史、伝統、過去や現在のチームの戦績を観察しても、カープファンの独自性を形成するこれといった理由が分からない。ある説によると、カープという球団は広島市の戦後の復興と歩調を合わせて成長したと言われている。カープを語る上で重要な一説と思われるが、取材を続けるとこれ以上の理由があった。

炭焼きやきとり処「カープ鳥」をチェーン展開する有限会社野球鳥の代表取締役社長、牟田 亮介は、まさに筋金入りのカープファンである。1980年に牟田の父によって創業された「カープ鳥」は、カープの選手名を冠したメニューで有名だ。例えば「大瀬良」を注文すると、カープ鳥の人気メニューのひとつである鶏皮がテーブルに運ばれる。この店はカープ愛を共有するファンにとって特別な場所、言わば「聖地」であり、多くのファンが巡礼に訪れる。

「僕たちの生活は、広島東洋カープを中心に回っているんです」

有限会社野球鳥 代表取締役社長 牟田 亮介

牟田は「広島では、カープの存在そのものが日常に溶け込んでいるんですよ」と語る。「僕たちにとって、意識的なことではなく、広島人の意識に根差しているようなもんです。テレビをつけると、いつもカープのニュースが流れていますからね。広島の街を歩いていても、道には選手のポスターや看板が飾られているでしょう?野球帽を買うとしたら、間違いなくカープのロゴが入っているでしょう。僕たちの生活は、カープを中心に回っているんです。それはごくごく自然のことなんですよ。」

最大33,000人収容可能なマツダスタジアム

実際、試合のある日に マツダスタジアムを訪れてカープファンと話をすると、牟田の発言は真実であることを実感する。広島x巨人戦を観に来たご家族のお父様は「うちの家族は、カープのことなら何でも熱く語るし、みんなで一緒になって盛り上がります。カープ愛を何世代にも渡って受け継いできたんです」と話してくれた。

実際、試合のある日に マツダスタジアムを訪れてカープファンと話をすると、牟田の発言は真実であることを実感する。広島x巨人戦を観に来たご家族のお父様は「うちの家族は、カープのことなら何でも熱く語るし、みんなで一緒になって盛り上がります。カープ愛を何世代にも渡って受け継いできたんです」と話してくれた。

カープ鳥の店内に飾られたカープグッズと、カープ鳥の牟田 亮介社長 (右)とスタッフ

「おじいちゃんとおばあちゃんが好きだったから、私もカープファンになりました!」と話すのは娘さん。「それだけじゃなくて、チーム全体がすごく近い存在なんです。選手もスラィリー(球団マスコット)もファンを楽しませてくれて、大事にしてくれますよ。(カープとファンとの)関係は特別なものだと感じています!」

 

彼女の言葉は、スタジアムの中や外で出会ったすべてのカープファンの総意を表しているようだ。何世代にも渡って親から子へ受け継がれてきたカープへの愛は切っても切れない絆である。事実、カープは民間企業をスポンサーに迎え、資金提供を受けないプロ野球チームだ。球団の存続が危ぶまれた1952年、広島市民からの多額の寄付がカープを救ったことを受け、球団は特定の企業に全面依存せずに経営を成り立たせている「市民球団」というアプローチを採用してきた。日本で唯一の市民球団であるカープは約70年もの間、第三者のスポンサーを持たない球団であり続けている。

カープの着物を纏ったファンの言葉は、ファンや選手を含めた全カープ関係者の想いを総括する。「あなたにとって広島東洋カープとは何ですかと聞かれたら、こう言います。カープは広島の心です。」

 

どのスポーツもそうだがシーズンは変わり、優勝チームも時代と共に変わる。選手の入れ替えもある。唯一変わらないのは、スタジアムで肩を並べてカープを応援し、勝利を共に祝い、負けた時は慰め合う熱いファンだ。試合に勝っても負けても、広島の心は脈々と受け継がれていくのです。(2023年6月取材撮影)

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