CX-30で豪雪地帯・本州北端を走る冬の青森ドライブ。
前編の今回は、雪に覆われた山道、広大な津軽平野を爽快に駆け抜け、
八甲田山の秘湯・酸ヶ湯温泉、色鮮やかな伝統ガラス工芸・津軽びいどろのルーツに迫る。
Story by Kazuya Tsuruoka/ Photography by Kazuo Yoshioka
雪道を駆け上がり、豪雪地帯の秘湯・酸ヶ湯温泉へ
青森市内はすっきりと晴れ渡り、絶好のドライブ日和。
CX-30は西には雪で白く染まった八甲田山を、南東には岩木山を望みながら、肩慣らしがてら市内中心部を走り抜ける。
めざすは、日本有数の豪雪地帯・八甲田山の山麓に佇む秘湯・酸ヶ湯温泉。海抜約900メートルに位置するこの湯は、1684(貞享元)年に発見され、大正に入ってから温泉宿として湯治客を迎えるようになったという。
青森市内を抜け、酸ヶ湯温泉へと至る国道103号線の曲がりくねった山道を進んでいく。すると、八甲田山の山裾に差し掛かるあたりから、車道両脇の積雪が厚みを増し始め、やがて3メートル以上にも切り立った雪の壁が連なっていく。
周囲の山肌は厚い雪に覆われ、生い茂るブナの木々も淡く雪化粧。
真っ青な空と白銀のコントラストが爽快に広がり、そこにアクセントを描くように、ソウルレッドのCX-30はタフな雪道も力強く駆け上がってくれる。
マツダ独自のi-ACTIV AWDシステムが、旋回に応じてエンジントルクを自動制御し、最適な駆動力を前後輪に配分してくれるため、スムーズなコーナーリングと旋回安定性を両立したまま雪道を走行できた。
やがて雪の壁が大きく切り取られた箇所に至り、看板にしたがって左折して入ると、酸ヶ湯温泉の宿が待ち受けていた。
雪山に抱かれるように建つ木造建築。まさに秘湯と呼ぶにふさわしい佇まいだ。館内に足を踏み入れた途端、温泉の硫黄の香りが鼻孔をくすぐった。
著名人にも愛される湯宿。棟方志功の創作の源でもあった
館内を案内してくれたのは、酸ヶ湯温泉(株)営業企画室の小野 豊さん。聞けば69歳だというが、年齢を感じさせない矍鑠(かくしゃく)としたご様子で、「はるばるようこそ!」と温かい笑顔で迎えてくれた。
「まずはこれを見てください」。小野さんにそう促されたのは、ロビーに掲げられた迫力ある風景画。
「板画家・棟方志功が酸ヶ湯周辺を描いた作品です。上空に1匹の鷹が描かれているでしょ。これは、志功の創作の拠り所となった神の鷹なんです」
明治から昭和にかけて、酸ヶ湯温泉には村人から「仙人」と称されて慕われた人物が働いていた。その名は、鹿内辰五郎。
彼は八甲田山の自然に精通し、1902(明治35)年に日本陸軍が雪中行軍の途中で遭難して199名が命を落とした「八甲田雪中行軍遭難事件」では、生き残った遭難者の救出にも尽力した。
彼は酸ヶ湯で創作に励んでいた棟方志功と親交が深く、あるとき、鹿内が笛で呼び寄せた鷹を棟方とともに仰ぎ見て、「この鷹は神の鷹だ。神の鷹を見れば世界一になれる。棟方、お前は偉くなるぞ」と進言したという。
この言葉を拠り所に、棟方は数々の傑作を精力的に彫り上げ、まさに世界に名を轟かす板画家になっていった。
棟方のゆかりの地である酸ヶ湯温泉の館内には、棟方の作品が多数展示され、ギャラリーに並んだ鹿内と棟方が談笑する写真からもふたりの関係性を垣間見ることができる。
小野さんにこうした歴史を紐解いてもらいながら、築80年以上におよぶ館内を巡り歩く。大正当時の建物の面影が残る湯治棟には、今も質素な部屋や共同の炊事場が現役で湯治客を迎え、2ヶ月、3ヶ月と滞在する湯治客も少なくないという。
常連客にはそれぞれにお気に入りの部屋があり、「滞在中、自前の暖簾(のれん)を部屋の入口にかける方もいらっしゃいますよ」とは小野さん。
2階にあがると、小野さんは「こちらの部屋には皇族の方々もご宿泊されました」と案内してくれた。
床の間に使われた木から「えんじゅ」と名付けられたその客室は、八甲田雪中行軍遭難事件を題材にした映画の撮影時には、主演俳優も宿泊したという。
室内は当時の趣をそのまま残し、雪見障子からは厚く積もった雪を覗くことができる。床の間の掛け軸には「みちのくの山の湯宿酸ヶ湯は八甲田の自然と共に何時までも素朴で美しくありたいと思います」という宿で代々受け継いできた理念が記され、「私たちのお客様に対する決意そのものです」と、小野さんは優しい笑みを浮かべた。
湯浴みの伝統と知恵を受け継ぎ、八甲田の魅力を伝え続けたい
次に案内されたのは、ヒバの木で作られた混浴の大浴場「ヒバ千人風呂」。湯煙に白く染まった160畳もの広さの浴室は、大きな窓から陽光が差し込み、湯煙が淡く照らされて幻想的な雰囲気。
「ヒバ千人風呂には、先人たちの知恵が活かされているんです」と、小野さんはさらに力を込める。
ヒバ千人風呂には、それぞれ異なる源泉が「熱の湯」、「四分六分の湯」に湯をたたえている。「熱の湯」は湯船の底から源泉の湯が沸き、約40度とぬるめながらも身体の芯からじんわりと温まる。
確かに、湯に浸かると底から空気を含んだ湯がぽつりぽつりとあがり、肌をやさしくなでる感覚がある。一方、「四分六分の湯」は少し熱めの約43度で、熱くて長湯ができず、身体を4~6割温めるのがちょうどいい湯のため、こう名付けられたという。
「どちらも源泉そのままのお湯。湧き出す湯量と湯船の広さのバランスから、この温度に保たれているんです。先人たちの知恵ですよね」と小野さんは紐解いてくれた。
「こうした伝統を守り続けるため、酸ヶ湯温泉では『湯守』と呼ばれるスタッフがヒバや湯船を毎日丹精込めて手入れしています。今なお混浴を続けているのも、男女隔てなく湯浴みを楽しむという開湯時からの風情を大切にし、後世に受け継ぐためなんですよ」
小野さんは子どもの頃から八甲田山でスキーを楽しみ、酸ヶ湯温泉で冷えた身体を温めるのが楽しみだったとか。
「私が子どもの頃、親戚のおばさんが酸ヶ湯温泉に長く滞在して湯治をしていたんです。当時は『湯見舞い』という風習があり、湯治客をお見舞いに来るお客さんは入浴が無料だったんですね。だから、私もよく通っていました(笑)」。
酸ヶ湯温泉は地元の方々にとって身近な存在であり、「昔は建物内に散髪屋や診療所などもあって、ここに来れば何でも事足りていました」と、小野さんは振り返る。
小野さんの酸ヶ湯温泉での勤務歴は20年以上。湯客のもてなしとともに、宿周辺の雪山を巡り歩くスノーシューのガイドを務め、雪深い八甲田山の自然の魅力を伝え続けている。
「酸ヶ湯温泉は、私たち地元の人間にとって身近な存在であり、文化のようなもの。先人たちから預かったこの魅力を守り続けるのが、私たちの役目だと思っています」という小野さん。八甲田山の自然の魅力についてもこう語ってくれた。
「雪深く、とても厳しい環境ではありますが、1月~3月には周囲のブナやアオモリトドマツの木々が樹氷になります。世界的にも珍しい光景ですよ。日本海から海水を含んだ風が届き、絶妙な温度と湿度で木々を吹き上げるため、樹氷となって美しく染め上がるんです。こうした自然の恩恵を、たくさんの人に体感していただきたいですね」。