どっしりと立つ25頭の寒立馬。集落と自然が共存してきた歴史
尻屋埼が位置する東通村には、現在29の集落があり、岬周辺では古くから尻屋集落の人たちが漁業を営んできたという。
「尻屋埼はあわび、うに、昆布の日本有数の漁場なんです。昭和初期には海岸で取れたこれらの海産物を集落まで運ぶために、どっしりと強靭な足腰を持つ寒立馬が活躍してきました。集落では1家に1頭の寒立馬が欠かせなかったほど、集落の人たちと寒立馬は共存の関係にあったんですよ」
「冬場には、灯台から少し南に下ったアタカの寒立馬越冬放牧地で飼育されていますが、4月~11月には灯台周辺に放牧されます。馬は元来、注意深い動物なのですが、寒立馬は周りを気にせず、人がいてもゴロンと寝転がって惰眠をむさぼることもあるんです。他ではなかなか見られない姿ですよ」
厳しい寒さと岩場に覆われた地形から、他の動物たちが棲みつかず、寒立馬の暮らしを脅かす天敵がいない環境。そのため、寒立馬は周囲に怯えることがなく、自ずと穏やかな性格が育まれていったのだという。
その姿に会うために、小笠原さんの誘導のもと、アタカの寒立馬越冬放牧地へCX-30を進めた。寒立馬の飼育を担っているのは、尻屋集落で漁業の傍ら世話をしている尻屋牧野組合。防風林に囲まれた放牧地を訪れると、組合の皆さんによる牧草の積み込み作業の最中で、その合間を縫って組合長が迎え入れてくれた。
寒立馬は茶、白、黒、黒茶と、それぞれに毛色が異なり、寒さもどこ吹く風と言わんばかりの穏やかな表情で思い思いに佇んでいた。喉元のふさっとした毛並みに南部馬の特徴が残り、どっしりとした足元を覆う毛は交配したブルトン種の特徴だという。小笠原さんが言うとおり、人に慣れた寒立馬から近寄ってきて、頭や身体を撫でても我関せずという風情だ。飼育の手を行き届かせるために、寒立馬の頭数は現在25頭に限られ、放牧されているのは仔馬を除いてすべて牝馬。5月~7月の繁殖期に限って牡馬を加えるのだという。
「浜姫、風雪、令雅など、1頭1頭に名前がついているんですよ。例えば住姫の娘馬は、住花。『住』は馬を所有する家の屋号のようなものを表しています」という小笠原さんの言葉からも、寒立馬が集落の方々の暮らしに欠かせない存在であり、大切に育てられてきたことが伺える。
「ただし、寒立馬は決して過保護に育てられてきたわけではありません。集落の皆さんとともに、尻屋崎の厳しくも豊かな自然から恩恵を受け、人と馬がつかず離れずの距離感で、かつお互いを必要としながら長年の暮らしを育んできたのです。その絶妙な関係性で共存している姿が、寒立馬の魅力だと思っています」
小笠原さんの周りには、学校を卒業後、東通村を離れた同級生も少なくないという。しかし、小笠原さんは村に留まり、生まれ育った東通村の魅力を発信し続けている。東通村で働き続ける理由を聞くと、「長男だったからですよ」と照れ笑いを浮かべるが、「日本海と太平洋の狭間で育まれた自然の恵みにあふれ、人と動物が共存し、穏やかな風情と人柄が息づくこの地がしっくりと来るんです」と言葉を続けた。その表情には、故郷への誇りが滲んでいた。