内藤 礼(ないとう れい)は、マツダと同じ広島県出身のアーティスト。
造形やインスタレーションによって国際的にその名が知られているアーティストでありながら、
彼女自身はあまり表に情報を出していない。
自身のウェブサイトを持たず、広報担当者もいない内藤にインタビューするため、
Mazda Storiesは複数のアート・ギャラリーや美術振興財団に問い合わせをし、
やっと彼女の連絡先を入手した。

Story by Tommy Melville

アーティスト 内藤 礼としてのこだわり。

インタビューはメールで、という内藤の要望を受け、独自の世界観を持ち、鑑賞する人にインスピレーションを与え、またチャレンジを続ける内藤の作品に関する質問リストを作成し彼女に送付した。

リストの送付から1週間後、内藤から返事が来た。東京のタカ・イシイギャラリーでの展示の準備に追われる中、内藤はしっかりと質問に向き合い、1問1問丁寧に答えてくれた。

アーティストとしての自らの哲学や存在について、内藤は「我々人類の地球での存在は、祝福(blessing)となっているのだろうか」という質問を投げかけた。

彼女の作品のテーマやメッセージの根底には、この問いが存在する。また彼女の回答には、「生と死」というテーマが繊細にちりばめられていた。丁寧に書かれた回答を読み進めるうちに、存在の周期的な性質に着目する彼女の作品には、「アートは人に生きる力を与える」という彼女の哲学が色濃く反映されていると感じた。

内藤 礼 作品ギャラリー

内藤は、さまざまなサイズや規模のインスタレーション作品を発表してきた。

マツダが自然由来素材をクルマのインテリアに採用したように、内藤も木偶やビーズなど、さまざまな素材を使って作品を創造し、「太陽の光、空気、重力、水や風」を感じながら創作活動をするのが好きだと語ってくれた。

これらの自然の要素に魅力を感じる理由として、内藤は「人類の誕生以前にこの世に存在していた」からだと言う。だからこそ、彼女の作品は古代を感じさせると同時に、時代を超越した雰囲気を醸し出しているのだろう。

成長を育んできた作品たち。

とある質問への回答として、内藤は「アーティストとしての成長を示してくれた作品」リストを作ってくれた。それぞれが、彼女が生み出した芸術の有機的な系譜のマイルストーンとなっている。

1991年に発表された「地上にひとつの場所を」(une place sur la Terre、One Place on the Earth)という作品は、テントの中にオブジェがインスタレーションされたもの。鑑賞者は一人で「母なるスペース」であるテントの中に入り、生まれ変わってテントから出る。

1997年には、「Being Called」という作品がドイツの修道院に設置された。修道院の壁画に描かれた304人の人物一人ひとりに対し、内藤は手のひらに乗るような小さい枕を制作した。

「死者の魂を休息させる小さな枕を作ることで死者とつながり、誕生する前の存在ともつながることができました。命の連続性を感じながら、時間の流れとの調和を感じることができたと思います。」と彼女は語った。

成長を育んできた作品たち。

内藤は1961年、広島で生まれた。広島の歴史について、彼女は「平和教育を通じて、原爆について少しずつ学んでいったのだと思います」と語った。

広島での幼少時代について聞いたところ、彼女が小学生の時、彼女にはマツダ(当時の社名は東洋工業株式会社)で働いていた父親を持つ友人がおり、その友人は自らの父親の会社を「誇り」に思っていたそうだ。

また広島市の復興の過程において、マツダや広島市のプロ野球チーム、広島東洋カープの存在が「広島市民や県民の心を一つにしてくれた」と語った。

 

1985年、内藤は東京の武蔵野美術大学を卒業。在学中は視覚伝達デザインを学んでいたが、その後アートに転向し、彼女のトレードマークとなるミニマリストなインスタレーションの制作をはじめた。

彼女のインスタレーションはイスラエルのテルアビブ美術館やヴェネツィア・ビエンナーレなど、世界有数のギャラリーや美術館で展示されている。

成長を育んできた作品たち。

  • 空から見た豊島(Image: Iwan Baan)

彼女の代表作は、2010年に豊島(てしま)美術館に設置された「母型」(Matrix)ではないだろうか。豊島は瀬戸内海に浮かぶ小さな島。1970年代から80年代にかけて、豊島には有害物質を含む産業廃棄物が大量に不法投棄され、環境に多大な影響を及ぼした。

それから数十年後、廃棄物処理の一環として、豊島の復興を象徴する美術館が建設された。コンクリートで作られた美術館の建物は、棚田に近い敷地に立っている。設計は建築家、西沢 立衛(にしざわ りゅうえ)が手掛け、内藤は美術館に設置されるインスタレーション、「母型/Matrix」を制作した。

 

この作品の企画は、2007年に始まった。2001年、直島の家プロジェクト「きんざ」で発表した作品、「このことを」(Being Given)の制作過程で内藤が自然と人の暮らしに出会い、自然がもたらすものについて気付きを得たことが、「母型」へとつながった。

自然の中でも特に水から着想を得た内藤は、水が入ったガラスの瓶、用水路や天井から水滴が落ちる作品などを通じて実験を行った。豊島美術館では、内藤は地下水が断続的に沸き上がる多くの穴を作り、水滴がある一定の大きさを越えると床の上を生き物のように流れ出し、時に連結や分裂をしながら複雑に動き、水たまりを作ったり、別の穴へと吸い込まれていく作品を完成させた。

成長を育んできた作品たち。

  • 内藤の代表作の1つである「母型/Matrix」は、瀬戸内海に浮かぶ豊島に設置されている。マツダの本拠地、広島県を含む中国地方にはものづくりの長い歴史と伝統があり、たたらと呼ばれる和式製鉄が広く行われてきた。たたら製法を生み出した匠の技は、製鉄に完璧さと革新を追求する広島の物作り文化として受け継がれ、20世紀初頭の広島は造船や自動車製造のハブとして繁栄した。この物作りの伝統は、マツダの製造・生産工程にも脈々と受け継がれている。(写真左:「母型/Matrix」【Image: Iwan Baan】、写真右:「母型/Matrix」【2010年、香川県豊島美術館  Image: 森川 昇】)

鑑賞者に時間と空間が与えられ、展示された作品から何かを感じることができれば
その瞬間、世界は変わるだろうと内藤は言う。

内藤の作品には共通して美しさと瞑想的な静寂が漂うが、内藤自身は謎に包まれたアーティストだ。作品を通じて、鑑賞者に内省を促しているからだろうか?

内藤によると、彼女の作品から得られる体験は「人によって異なる」と言う。「地上にひとつの場所を」(une place sur la Terre、One Place on the Earth)を例にとり、内藤は「この作品は、完全な孤独という体験のために創造されました。心の自由を守り、大切にすることを意図した作品でした」と語った。

 

結束は、内藤の作品にとって重要なテーマだ。彼女のインスタレーションの大多数は、少数の鑑賞者による体験を念頭にデザインされており、それがアーティストとしての彼女のメッセージやパワーを増幅している。

美術館やギャラリーを訪れる鑑賞者に空間や静寂が与えられ、「インスタレーションを見て小さなことを発見できれば、その個人的な体験や啓示の瞬間、世界は変わる。このような変化の瞬間は、究極の感動体験をもたらすのではないでしょうか。孤独な瞬間は儚く、共有することはできません。だからこそ、その体験が自分だけのものとなるのです」と内藤は自らの考えを語ってくれた。

鑑賞者に時間と空間が与えられ、展示された作品から何かを感じることができればその瞬間、世界は変わるだろうと内藤は言う。

新たな年を迎え、内藤は今までになく精力的に活動している。東京のタカ・イシイギャラリーで3次元の作品と絵画の展示がオープンを迎えた後、内藤の視線はすでに2021年東京ビエンナーレへと向いている(内藤にとってビエンナーレは初出展となる)。

質問リストの最後の質問は、東京ビエンナーレ出展を計画している作品について。2012年に発表した 「地上はどんなところだったか?」(What Kind of Place was the Earth?)という回答を聞き、心が躍った。

 

「地上はどんなところだったか?」(What Kind of Place was the Earth?)という作品は、「人」という小さな人形がビエンナーレ会場の寺に展示されるものである。人間のように見える人形と本物の人間の違いについて、内藤は「人形が見るのは鑑賞者という人間ではなく、希望の兆しです」と語った。

「人」は誰かが現れるのを静かに待ち、「現れた鑑賞者を暖かく迎え、見守ります」と語る。内藤が発する希望に満ちた、楽観的なメッセージは、未来へと進む我々人類を優しく見守ってくれるだろう。

マツダのデザイナーたちにとって、自らが設計したクルマは芸術作品だ。

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