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レモン谷で瀬戸内レモンの真価を体感する

初日の行程でのどかな島時間を過ごした後は、後半はアクティブな島時間を体験することにした。大崎下島から東の岡村島へ渡り、フェリーで大三島(おおみしま)に入ると、ここからは「瀬戸内しまなみ海道」へと入る。そして、大三島から多々羅大橋(たたらおおはし)を渡ると、日本一のレモンの産地・生口島(いくちじま)だ。

橋上を走行していると、目の前に見えてくるのは山の斜面に広がる「レモン谷」。遠くからでも黄色い果実が見てとれる。

初日の行程でのどかな島時間を過ごした後は、後半はアクティブな島時間を体験することにした。大崎下島から東の岡村島へ渡り、フェリーで大三島(おおみしま)に入ると、ここからは「瀬戸内しまなみ海道」へと入る。そして、大三島から多々羅大橋(たたらおおはし)を渡ると、日本一のレモンの産地・生口島(いくちじま)だ。

橋上を走行していると、目の前に見えてくるのは山の斜面に広がる「レモン谷」。遠くからでも黄色い果実が見てとれる。

   

広島県のレモン栽培は、1898年に和歌山県から購入したネーブルの苗木のなかに混ざっていた3本のレモンの苗木がルーツだといわれ、すでに100年以上の歴史がある。昭和初期には年間900トンの生産量を誇り、日本一のレモン産地になった。この谷が「レモン谷」と呼ばれるようになったのも、この頃からだ。1964年、輸入レモン自由化により大打撃を受け多くのレモンの木が伐採されたものの、1980年代以降、国産レモンの安全性が見直されると、2000年代には瞬く間に日本一の生産地として返り咲いた。

広島県のレモン栽培は、1898年に和歌山県から購入したネーブルの苗木のなかに混ざっていた3本のレモンの苗木がルーツだといわれ、すでに100年以上の歴史がある。昭和初期には年間900トンの生産量を誇り、日本一のレモン産地になった。この谷が「レモン谷」と呼ばれるようになったのも、この頃からだ。1964年、輸入レモン自由化により大打撃を受け多くのレモンの木が伐採されたものの、1980年代以降、国産レモンの安全性が見直されると、2000年代には瞬く間に日本一の生産地として返り咲いた。

   

生口島には、約650軒のレモン農園があり、その約半分の農家が広島県の特別栽培農産物として認定された、減農薬の国産レモンブランド「エコレモン」を生産している。そのうち、まったく農薬肥料を使わない、「農薬肥料不使用」を掲げているのが「れもんだにのうえん」だ。

Uターン移住者である「れもんだにのうえん」の永井英夫さんは、大阪で旅客添乗員をやっていたとあって饒舌に自然農法で作られたレモンについて教えてくれた。

生口島には、約650軒のレモン農園があり、その約半分の農家が広島県の特別栽培農産物として認定された、減農薬の国産レモンブランド「エコレモン」を生産している。そのうち、まったく農薬肥料を使わない、「農薬肥料不使用」を掲げているのが「れもんだにのうえん」だ。

Uターン移住者である「れもんだにのうえん」の永井英夫さんは、大阪で旅客添乗員をやっていたとあって饒舌に自然農法で作られたレモンについて教えてくれた。

   

「畑にないものは持ち込まないのが自然農法。もちろん農薬肥料不使用で、出荷する分だけを収穫するようにしています。うちが有機栽培を始めたのは40年前の父の代からでした。20年前から自然農法に切り替えて、レモンの本当の味を追求するようになりました」

永井さんがかぶっているキャップには、英語で「レモンは皮です」と書かれている。レモン畑のど真ん中で受講する永井さんによる“レモン講習”は、「なるほど、レモンは皮だ」と思わせる内容だ。グラスの中にレモンの皮を絞ると、皮に含まれる精油(アロマ)が立ち上る。続いて、皮をスライスした「レモンの刺身」は、果肉の酸っぱさや苦味、えぐみがなく、甘くてそのままつまめるほどだ。永井さんは5年前に故郷である生口島に帰ってきて、現在の仕事を心の底から楽しんでいる様子だった。

   

「レモンを大量に生産するなら安全面から農薬を使わなければならないし、ある程度の量を確保しないと農家として生計が成り立たないのが現実です。しかも、レモンの旬は夏ですが、虫がつく春に農薬を撒かないといけないので、どうしても5〜7月の本来のレモンが美味しい時期に収穫ができないのです。でも、自然農法なら通年出荷することができ、もっともいい状態のレモンを提供できます。数は少ないですが、こうやって少しずつレモンの美味しさを伝えていければと思っています」

帆布づくりのその先にある、私たちの未来

サイドミラーに遠ざかっていくレモン畑と永井さんを見送りながら、海岸線のワインディングロードを軽やかに走り抜けたCX-8は、生口島から因島(いんのしま)を経て、向島(むかいしま)に入る。造船の町・呉を出発したこの旅は、2つの街道を経由して広島のもうひとつの造船の町、尾道が抱く向島までやってきた。この旅の2人目の“講師”を訪ねて、港町・尾道らしい帆布づくりに励む「立花テキスタイル研究所」へ車を走らせた。

「立花テキスタイル研究所」で迎えてくれたのは、代表の新里カオリさんだ。カオリさんの開催しているワークショップでは、草木染めや機織り、オリジナルエプロンづくりなど自然由来のテキスタイル制作を体験できる。

サイドミラーに遠ざかっていくレモン畑と永井さんを見送りながら、海岸線のワインディングロードを軽やかに走り抜けたCX-8は、生口島から因島(いんのしま)を経て、向島(むかいしま)に入る。造船の町・呉を出発したこの旅は、2つの街道を経由して広島のもうひとつの造船の町、尾道が抱く向島までやってきた。この旅の2人目の“講師”を訪ねて、港町・尾道らしい帆布づくりに励む「立花テキスタイル研究所」へ車を走らせた。

「立花テキスタイル研究所」で迎えてくれたのは、代表の新里カオリさんだ。カオリさんの開催しているワークショップでは、草木染めや機織り、オリジナルエプロンづくりなど自然由来のテキスタイル制作を体験できる。

   

カオリさんは東京の美大を卒業後、作家活動を続けていくなかで、もので溢れている世の中に疑問を抱いたのだという。そこから、カオリさんのモノづくりは、地域の廃材を利用した商品づくりへと傾倒していった。

「染色する際には、草木を煮出してつくった液に浸して帆布や糸を染めます。さらに、その後には『媒染(ばいせん)』といって、鉄やアルミなどの金属を溶かした媒染液に浸し、生地に色を定着させる工程があります。『立花テキスタイル研究所』では、本来造船所では「不用」とされる鉄屑も「資源」として媒染液に利用しています。

カオリさんは東京の美大を卒業後、作家活動を続けていくなかで、もので溢れている世の中に疑問を抱いたのだという。そこから、カオリさんのモノづくりは、地域の廃材を利用した商品づくりへと傾倒していった。

「染色する際には、草木を煮出してつくった液に浸して帆布や糸を染めます。さらに、その後には『媒染(ばいせん)』といって、鉄やアルミなどの金属を溶かした媒染液に浸し、生地に色を定着させる工程があります。『立花テキスタイル研究所』では、本来造船所では「不用」とされる鉄屑も「資源」として媒染液に利用しています。

   

銅を使って媒染すればより美しい色が出るのですが、銅は環境負荷が大きいので使いません。だからうちではあえて色を追求することはしないんです」

瀬戸内という狭いエリアで完結するものづくり。それがカオリさんの目指すところだ。造船所から出る鉄くずも「ゴミ」となるか、「資源」となるか、見方で変わってくる。

「さまざまな企業からも『資源』として活用できないか、という相談がたくさんきています。こうした企業の取り組みは大きなアクションにつながっていくので、これが一般の方にも広がっていけばいいですね」

銅を使って媒染すればより美しい色が出るのですが、銅は環境負荷が大きいので使いません。だからうちではあえて色を追求することはしないんです」

瀬戸内という狭いエリアで完結するものづくり。それがカオリさんの目指すところだ。造船所から出る鉄くずも「ゴミ」となるか、「資源」となるか、見方で変わってくる。

「さまざまな企業からも『資源』として活用できないか、という相談がたくさんきています。こうした企業の取り組みは大きなアクションにつながっていくので、これが一般の方にも広がっていけばいいですね」

   

さらに話を弾ませていくと、カオリさんはアメリカ・ジョージア州出身の夫・トーマスさんとともに、夫婦で島内に農園を営んでいるという。「寄ってくださいよ」という言葉に甘え、カオリさんの案内で車を走らせること10分足らず。トーマスさんとともに、自宅兼農園で飼う羊や豚、鶏、アヒルなどが元気よく迎えてくれた。農園の名は、「ピッチフォーク ファームズ」。現在、年間約80種類の農作物を栽培し、高菜や水菜、ケールなどの青々とした葉物は、味が濃く、「たくましい味」と評判だという。

「農薬や化学肥料を一切使わず、この地で育ちやすい野菜を大事に育てています。不耕起栽培といって、土をあえて耕さず、野菜を刈り取った後の株や葉などが土に棲む微生物によって分解され、土壌の養分になっているんです」と、ご夫婦が教えてくれた。できるだけ環境負荷をかけない、循環型の野菜づくり。「立花テキスタイル研究所」のものづくりとも重なりあった。

ふたりに向島の魅力を訊ねると、カオリさんは「風が心地よく通り、心が洗われるんです」、トーマスさんは「静かで美しい海の間近で、野菜や動物を育てる。なんて人間らしい生活だと思わない?」と、顔をほころばせた。ふたりとの出会いを通して、土地に根ざして生きる喜びにふれ、瀬戸内の海のように、心が穏やかにほぐれていった。

禅寺と建築とアート。時間を超えた禅との出会い

   

旅の最後を締めるのは「禅体験」だ。尾道からCX-8で向かったのは「神勝寺 禅と庭のミュージアム」。臨済宗建仁寺派の寺院でありながら、日本を代表する建築家や芸術家、造園家が一堂に介して手腕をふるい、約7万坪の広大な境内全体がミュージアムとして設計されている。さらに、禅道場をはじめ、浴室、日本庭園、食事処、茶室と、さまざまな施設が厳かなお寺の雰囲気のなかに共存している全国に類を見ない場所だ。

旅の最後を締めるのは「禅体験」だ。尾道からCX-8で向かったのは「神勝寺 禅と庭のミュージアム」。臨済宗建仁寺派の寺院でありながら、日本を代表する建築家や芸術家、造園家が一堂に介して手腕をふるい、約7万坪の広大な境内全体がミュージアムとして設計されている。さらに、禅道場をはじめ、浴室、日本庭園、食事処、茶室と、さまざまな施設が厳かなお寺の雰囲気のなかに共存している全国に類を見ない場所だ。

   

今回の目的である禅体験が行われるのは、「国際禅道場」のお堂。武田忠法和尚に禅の空間へと導かれた。

今回の目的である禅体験が行われるのは、「国際禅道場」のお堂。武田忠法和尚に禅の空間へと導かれた。

   

臨済宗の修行僧の作法で、左手の親指を右手で軽く握り、顔をまっすぐに数メートル先の下方に視線を合わせて、半眼で視界を遮る――。腹式呼吸をしながら太く短く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。すると、お堂を取り囲む雄大な自然の風の音や木々の触れ合う音が体全体に染み入るかのような感覚になった。それは「気配」だと、和尚が教えてくれた。

臨済宗の修行僧の作法で、左手の親指を右手で軽く握り、顔をまっすぐに数メートル先の下方に視線を合わせて、半眼で視界を遮る――。腹式呼吸をしながら太く短く息を吸い込み、ゆっくりと吐く。すると、お堂を取り囲む雄大な自然の風の音や木々の触れ合う音が体全体に染み入るかのような感覚になった。それは「気配」だと、和尚が教えてくれた。

時折、和尚が鳴らす鏧子(けいす)の凛とした音がお堂のなかに響くと、背筋がすっと伸びる。約20分間、わずかな雑音すら聞こえない「無」の時間がゆっくりと流れ、その時間は一瞬のようでもあるし、とても長い時間そうしたかのように感じられた。

   

これまで多くの人に禅の手引きをしてきた和尚は、淡々と話してくれた。

「なんとも言えない感じでしょう。楽しくもないし、退屈でもない、なんとも言えない時間。音がよく聞こえて、頭がすっきりしたんじゃないでしょうか。『答えは風のなか』なんて言いますが、案外答えは自分のなかにあって、それは坐禅を通して見つけられるのかもしれませんね」

それほど多く言葉を交わしていないのに、核心を言い当てられたような不思議な感覚になる。その感覚は境内を散策している間も宿り、気づけば雑念が消え去っていた。

これまで多くの人に禅の手引きをしてきた和尚は、淡々と話してくれた。

「なんとも言えない感じでしょう。楽しくもないし、退屈でもない、なんとも言えない時間。音がよく聞こえて、頭がすっきりしたんじゃないでしょうか。『答えは風のなか』なんて言いますが、案外答えは自分のなかにあって、それは坐禅を通して見つけられるのかもしれませんね」

それほど多く言葉を交わしていないのに、核心を言い当てられたような不思議な感覚になる。その感覚は境内を散策している間も宿り、気づけば雑念が消え去っていた。

「安芸灘とびしま海道」から「瀬戸内しまなみ海道」へ、2つの海道の駆け抜けたCX-8の旅。想定していた爽やかな海道ドライブであったことに違いはないが、それ以上に訪れる先々で体験することに多くの発見があった。島と島を繋ぐ「海の道」の道中で得られた経験は、忘れられないものとなった。

MAZDA CX-8 Black Tone Edition

黒で引き締めたエクステリア。黒を基調としながら、赤の差し色によりスポーティさを増したインテリア。美しさの中に、強さと情熱を表現した特別仕様車です。

MAZDA CX-8 Black Tone Edition

黒で引き締めたエクステリア。黒を基調としながら、赤の差し色によりスポーティさを増したインテリア。美しさの中に、強さと情熱を表現した特別仕様車です。

  • 取材先での撮影においては許可を得て行っております。また、感染症対策を行った上で実施いたしました。
  • CX-8は販売終了しています。
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