イタリア南部に位置するアマルフィ海岸には、長いクラフトマンシップの歴史がある。
歴代の匠の技と想いを受け継ぐ現代の匠たちに共通するのは、
ひたむきさ、粘り強さ、そしてチャレンジ精神だった。

Words Nik Berg / Images Rama Knight

イタリア南部の町、ソレントとアマルフィを結ぶ国道(ストラーダ・スタターレ 163 アマルフィターナ、SS163)。一般的に「アマルフィ・ドライブ」と呼ばれるSS163は、ワインディングが連続する全長60kmの有名なドライビングロードで、ローマ人によって建設され、1830年代に修復された。気温30度前後の温和な気候を求めて年間数百万人がこの地を訪れ、ティレニア海の絶景を楽しんでいる。またアマルフィのランドマークとなっているこの道路は、数十もの海岸沿いの町、そしてそれぞれの町の住民をつなぐ重要なインフラとしても機能している。

 

今回の旅の目的は、パステルカラーの住宅やレモン畑のあるアマルフィ・ドライブを走ることではない。旅の相棒として選んだMAZDA CX-60のステアリングを握り、訪れる者を惹きつけてやまないこの地で、伝統の技を受け継いで活動を続ける現代の匠たちに会いに行く。受け継いだ伝統とデジタル化による需要の変化、この相反するテーマにアマルフィの匠たちはどのように対応しているのかを探ることがこの旅の狙いだ。

マツダでは、それぞれの匠が自らの技術を次世代に継承しているが、アマルフィの匠たちも同様だ。アマルフィを一緒に走るCX-60のキャビンにしつらえられた細やかで美しいステッチ、厳選された素材には、継承された匠の技が光っている。店先で土産物を探す観光客の合間を縫って運転する間、CX-60の車内に流れる落ち着いた空気が気分を和らげてくれた。

 

アマトルーダ製紙工房は、アマルフィの町から北上し、丘陵地帯に近い場所に位置する。この地域では13世紀から手すき紙の製造が始まり、ピーク時には15ほどの製紙工房が立ち並び、地域社会を支えていたそうだ。現在残っているのは、ルイージ・アマトルーダとその家族によるアマトルーダ製紙工房のみである。家業を引き継いだルイージ・アマトルーダは1970年代、原点に立ち返り、中世の様式に則った手すき紙を復活させた。これが工房の存続に貢献し、ビジネスに繁栄をもたらした。

代々手すき紙を製造しているアマトルーダ製紙工房を率いるアントニエッタ・アマトルーダ。

製造された手すき紙は厚みがあり、素晴らしい質感で、独自の乾燥工程によって生じたギザギザとした目の粗い縁が特徴的。

「製紙工房が続いているのは、ひとえに私の父、ルイージが過去に重宝された手すき紙を復活させたおかげです。原点に立ち返ることで、未来を見据えることができるようになりました。ここで製造される手すき紙は、レターペーパーや美術出版に使われているんですよ」とアントニエッタ・アマトルーダは説明してくれた。

 

手すき紙は、骨の折れる工程によって作られている。原料は森林管理協議会(FSC)が認定したスウェーデン産のセルロースとスペイン産のオーガニックコットン繊維。この2つの原料を400年使われている石製撹拌機で混ぜる。撹拌機は工房の敷地に流れる滝の水力を動力源としている。撹拌後、植物由来の糊を加えたものに、木と金属のフレームを使って紙を1枚ずつすいていく。20日間乾燥させた後、2日かけてプレスする。その後アマトルーダの熟練スタッフによって品質検査が行われて、ようやく完成する。このようにして製造された手すき紙は厚みがあり、素晴らしい質感で、独自の乾燥工程によって生じたギザギザとした目の粗い縁が特徴的だ。

工房を案内してくれた後、CX-60まで見送ってくれたアントニエッタの息子、ジュゼッペは目を輝かせながらアマトルーダの伝統工芸を広めるために世界を回り、日本も訪れたと語ってくれた。CX-60に乗り込み、坂道を下りながら、アマトルーダの家業は安泰だと確信した。

アマルフィから西に30分ほどアマルフィ・ドライブを走り、プライアーノに到着した。

弦楽器製作職人、レオナルド・スカラの工房に行くまでの道のりはかなりの急勾配だが、訪れる価値は十分にある。今から50年ほど前、彼の父パスクァーレが伝統的な中世の楽器の製作を始めた。レオナルドは幼い頃から、父親に楽器製作の手ほどきを受け、知識を吸収してきた。

ティレニア海を臨む工房にて、レオナルド・スカラはイタリア北部やドイツから仕入れた木材を使ってリュート、ギター、マンドリンを製作する。

「私はこの工房で育ちました。ここには歴史がある。
情熱をもって新たな歴史を作っていきたい。」

弦楽器製作職人 レオナルド・スカラ

この工房で、レオナルドは複雑な手工具と最低限の機械を駆使して、弦楽器に魔法をかけ、命を吹き込んでいく。手仕事で丁寧に作られる美しいリュート、ギター、マンドリンが工房から出荷されるまでには、約4カ月の期間を要する。イタリア北部とドイツの森や木材業者から木材を調達し、年間5-6個の弦楽器が製作される。レオナルドが手掛けるすべての弦楽器は、数百年前のデザインを踏襲する。

 

工房の小さな窓からは、ティレニア海が一望できる。この景色がレオナルド親子に心の平穏とインスピレーションをもたらしてきた。「私はこの工房で育ちました。学校から帰ってきたらすぐに工房に行き、父と一緒に楽器を製作していました」とレオナルドは回顧する。「ここには歴史があり、私は情熱をもって新たな歴史を作っていきたいんです。」

MAZDA CX-60

MAZDA CX-60

シンプルかつ美しいデザイン、日本が誇るクラフトマンシップ、革新的な安全技術が見事なまでに融合したCX-60に乗れば、世界で最も美しいドライビングロードのひとつとされるアマルフィ・ドライブの登り坂、さらにはアマルフィの曲がりくねった細い道も自信をもって走ることができるだろう。

 

プライアーノからさらに西に向かって海岸沿いを走り、崖の上につくられた町、ポジターノに到着した。道幅の狭い通りを幾度となく曲がりながら走る際には、CX-60の360°ビュー・モニターが重宝した。

旅の最終地点は、ソレント半島の北部に位置するソレント。ここで訪れるフラテッリ・アプレアは港に隣接し、ナポリ湾を一望する場所にある。1890年以来、地元の木材に加え、マホガニーやその他地元では手に入らない木材を輸入して、家族で美しい木製ボートを作り続けている。

カタルド(写真上)は父ニノ(写真下)と叔父のフランチェスコと共に、ソレント半島に位置する工房で木製ボートを製作する。

カタルドと妹のアレッサンドラは、ここで製作される美しい船を形作り、販売する7代目に当たる。2人共、年に2艇の船しか製作しない家族経営のボートヤードで育った。カタルドは代々受け継がれた方法を踏襲し、厚板の隙間を埋めるためにロープを器用に打ち付けていく。「子どもの頃から工房が大好きで、よく家に帰りたくないと言って大人を困らせたものです」と彼は語った。

 

父のニノ、叔父のフランチェスコから家業を受け継ぐことになるカタルドは、伝統的な価値を新たな発想で発展させている。フラテッリ・アプレアは、すでにハイブリッド電力供給を導入しており、電力のみを供給源とする船も近い将来計画されている。継承する伝統的な価値を時代に合わせて進化させることで、製作するボートを次世代やその先の世代にも楽しんでほしいと願っている。

 

今回の旅では、さまざまな匠たちの伝統的な技や価値観に触れることができた。アマルフィで出会ったすべての匠にとって、未来は明るいと信じてやまない。

CX-60についてさらに詳しく

TOP